時計解剖
「時間」は、人と人が関わりあうための文化的概念であるが、私は則し守ることができないため、嫌いだ。
しかし「時」は人間が創りあげたものの中で最もポジティブな概念で、皮肉にも私は時計がくるくるとまわりつづけてくれるおかげで未来の存在を意識することができる。時針・分針からなるアナログ時計は、絵文字やアイコンとして使用できるほどに流通しているが、4次元である「時」をの概念を分割し「時間」として3次元に落とし込み2次元の角度で表すという高度な仕組みで、24時間1440回毎分異なる角度を描き、時を“刻み”続ける。
私はこのアナログ時計に、省略されている過去から未来へと進む直線の時間軸を加える、つまり針の軌跡を立体的に捉えることで、一区切りの「時間」を視覚化することを試みた。
しかし「時」は人間が創りあげたものの中で最もポジティブな概念で、皮肉にも私は時計がくるくるとまわりつづけてくれるおかげで未来の存在を意識することができる。時針・分針からなるアナログ時計は、絵文字やアイコンとして使用できるほどに流通しているが、4次元である「時」をの概念を分割し「時間」として3次元に落とし込み2次元の角度で表すという高度な仕組みで、24時間1440回毎分異なる角度を描き、時を“刻み”続ける。
私はこのアナログ時計に、省略されている過去から未来へと進む直線の時間軸を加える、つまり針の軌跡を立体的に捉えることで、一区切りの「時間」を視覚化することを試みた。
制作の経緯:
現在主流の「長針、短針、秒針からなるアナログ時計」の形状、仕組みに疑問を持った。これは果たして時を計る道具として最良の形態なのだろうか。
アナログ時計の読み方は、「教科書で習う」。その際、小学生に「時計が止まると時が止まるか」と質問すると40%がYesと答えた例があると聞いた。この誤解はいづれ解けるはずだが、すんなり理解できない子供が居るという点に、やはり何かの違和感を感じる。
私たちはお腹がすいたり眠くなったりすることで時の流れを分割して感じ取ることは幼少期からできている。(と考えたとき、)現在の時計の在り方は「パソコン教室」的不自然さを感じる。もっと感覚的に学ばせるアプローチの仕方はないものか。
人と時間との新しい関わり方を創造することを目標に、「時」を知るための道具として「時計解剖」という彫刻作品を制作した。
現在主流の「長針、短針、秒針からなるアナログ時計」の形状、仕組みに疑問を持った。これは果たして時を計る道具として最良の形態なのだろうか。
アナログ時計の読み方は、「教科書で習う」。その際、小学生に「時計が止まると時が止まるか」と質問すると40%がYesと答えた例があると聞いた。この誤解はいづれ解けるはずだが、すんなり理解できない子供が居るという点に、やはり何かの違和感を感じる。
私たちはお腹がすいたり眠くなったりすることで時の流れを分割して感じ取ることは幼少期からできている。(と考えたとき、)現在の時計の在り方は「パソコン教室」的不自然さを感じる。もっと感覚的に学ばせるアプローチの仕方はないものか。
人と時間との新しい関わり方を創造することを目標に、「時」を知るための道具として「時計解剖」という彫刻作品を制作した。
時は絶え間なく連なり進み続ける。
時計の針はクルクルと回り、時を分割し時間を示すが、
二度と同じ12時は来ない。
針の軌跡は螺旋を描きながら
過去の層を積み上げ未来へと続いていく。
では、現在とはなんだろう。
自己を自己と認識していられる時間。
過去と未来との境目に存在する、ゆらぎ。
果てなく続いているようで確信できない過去と未来に挟まれて
存在を確信できる限られた記憶。
現在を指し示すことはできないが、
曖昧に、でも確かに、ここに在る。
時計の針はクルクルと回り、時を分割し時間を示すが、
二度と同じ12時は来ない。
針の軌跡は螺旋を描きながら
過去の層を積み上げ未来へと続いていく。
では、現在とはなんだろう。
自己を自己と認識していられる時間。
過去と未来との境目に存在する、ゆらぎ。
果てなく続いているようで確信できない過去と未来に挟まれて
存在を確信できる限られた記憶。
現在を指し示すことはできないが、
曖昧に、でも確かに、ここに在る。